ラッコリンの小部屋
解離性健忘 投稿日:2020.09.23

精神疾患の病状や歴史を映画を通して解説し、中村Dr.が治療法を検討します。

(1)症例 チャールズ・レイニア(男性、会社CEO並びに英国国会議員)

(2)診断 解離性健忘

(3)映画 『心の旅路』マーヴィン・ルロイ監督 (1942年製作 アメリカ映画)

   主演:ロナルド・コールマン (チャールズ・レイニア/ジョン・スミス役)

      グリア・ガースン(ポーラ・リッジウェイ/マーガレット・ハンソン役) 

(4)病歴

  • 私は会社役員のチャールズ・レイニアといいます。資産家の亡父の会社を引き継ぎ、幸い会社経営は順調であるため、私は何不自由のない生活を送っているように思われています。しかし私は度々不安に襲われています。不安の1つがこの鍵です。どうして私がこの鍵を持っているのかわかりませんが、この鍵には重大な秘密が隠されていると感じています。ある年,私は国会議員を引き受けることになりました。国会議員は妻帯者である方が良いと思い、秘書のマーガレットに結婚を申し込みました。結婚してもなぜかマーガレットは淋しそうで、気になっていました。彼女が気分転換に南米旅行をしたいというので、リバプール港まで彼女を送りました。近くの町にある自社工場でストライキがおこり、労働者と談合するため私は工場に赴きました。ストライキが終息して、なぜか気になった陸軍精神病院に立ち寄りました。その後、部下がたばこを買いたいというので、路地のタバコ屋に連れていきました。私はこの街に来るのは初めてなのに、タバコ屋がここにあるのをどうしてわかったのか、自分でも不思議でした。これが契機に、心の奥深くに隠されていた記憶がおぼろげに浮かび上がり、タバコ屋で出会った妻のポーラの姿が思い出されました。私は息をのむような驚きを覚え、翌朝、記憶の糸を手繰るようにしてリバプール郊外にある一軒家を探し始めました。そして…。

(5)背景

  • ジャネなどのフランス精神科医たちが解離現象に関する研究を発展させ、現代の解離概念の基礎が築かれました。解離は、記憶・自我同一性・感覚~知覚・身体運動の意識的なコントロール機能が失われた状態で、健忘・多重人格・現実感喪失・感覚脱失~幻覚・行動麻痺などを含んでいます。これらの状態は、脳の器質(構造)的な損傷によるものではなく、心理的な機制によるもので、全健忘(ある期間の記憶が完全に追想できないもので、典型は全生活史健忘です)と部分健忘(ある期間の記憶の一部が追想できないもの)を認めます。これを「日記」に例えると、健忘は、個人的に重要な出来事が書かれたページが墨塗り(戦後日本では教科書の軍国主義的な記述を墨で塗って読めないようにしたこと)にされたものです。全生活史健忘は個人的に重要な出来事のあった日から以前の全てのページが墨塗りにされて真っ黒になっているものです。ページ全体を真っ黒に塗った全健忘や、ページ中の問題部分だけを虫食い状態のように墨塗りにした部分健忘があります。健忘は脳の器質疾患でもみられるため、解離性健忘の判断は慎重に行われる必要があります。脳器質性健忘では、器質性(認知症などの脳器質性疾患でみられるもの)・外傷性(頭部外傷後に見られるもの)・症候性(感染症や内分泌疾患などの全身の疾患に伴ってみられるもの)・薬剤アルコール性(睡眠導入薬や飲酒によるもの)、などの原因による分け方があります。また、健忘の時系列に沿った出現方向によって、前向性(意識が回復したと思われる日から一定期間の記憶を喪失しているもの)と逆行性(意識を焼失した日より前の一定期間の記憶を喪失しているもの)に分類されます。

(6)症状

  • 解離性健忘は、その個人にとって心理的に重要な記憶が突然封印されて追想できなくなることです。第一次世界大戦下のフランス・アラスで瀕死状態になったチャールズ・レイニア氏は、全生活史健忘のためメルベリーの陸軍精神病院に入院しました。自分の名前や来歴が思い出せず、病院ではジョン・スミスという陳腐な名前で呼ばれていました。終戦の日、街のお祭り騒ぎに誘われて病院を抜け出し、迷い込んだ路地のタバコ屋に駆け込みました。そこで、ポーラという若い女性歌手に出会いました。ポーラはジョンに一目ぼれして彼の脱走を助けました。二人は結婚してリバプール郊外の小さな家に住むことになりました。幸せな日々が過ぎる中、ジョンはリバプールの新聞社で採用面接を受けるため出かけました。そこで自動車事故にあい、気を失ってしまいます。意識はすぐに回復しましたが、このショックで全生活史健忘は回復し、代わって戦争で受傷してから交通事故に会うまでの記憶が追想できない部分健忘になりました。そしてジョンはチャールズに戻りました。その後さまざまな出来事を経て、チャールズは、自社工場の労働争議で訪れたメルベリーにある陸軍精神病院やタバコ屋を訪れたことが契機になり、失われた記憶が戻り始めました。その瞬間、チャールズはジョンと合体しました。翌朝、かつて幸せな時間を過ごした一軒家の我が家を探し、その玄関を、持ち歩いていた鍵で開けると、そこに愛する妻ポーラすなわちマーガレットが待っていました。

(7)治療1

  • 全生活史健忘の人の来歴を示すものがなく、警察の失踪者リストにも該当者が見当たらないと、無戸籍者として生活する不利益を避けるため、チャールズと同様、新たな名前と戸籍をつくることになります。その後もその人の出自を求めて病院や警察の探索が続けられることもあります。しかし、この人が過去にどのような事件や事故に係わりがあったのか想像もできませんが、新たな人生を得て恐る恐る生活を始めた人が過去の忌まわしい出来事を知ることを躊躇して、過去の探求を拒否する人もいます。しかしこの人が過去に犯罪にかかわった人ではないのか、あるいは家族や知人たちがこの人の無事と帰還を心待ちにしているのではないか、などの思いが、この人の新たな船出を単純に喜ぶこともできません。

(8)治療2

  • ジャネの示唆した段階的治療が行われます。その中でEMDR(眼球運動による脱感作および再処理法)があり、これは心的外傷後ストレス症の治療にも使われています。詳細につきましてはEMDRを実施している医療機関かカウンセリング施設にお問い合わせください。

(9)治療3

  • 薬物療法は、健忘自体の改善より、随伴する精神病症状や不安抑うつ状態の改善のために投与され、抗精神病薬や抗うつ薬が使われます。なお、抗不安薬や睡眠導入薬は解離状態を悪化させることもあるため、必要最小限の使用にとどめる方がよいでしょう。

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